その後、石巻で
解体、瓦礫撤去が進んで、どんどん風景が変わって行きます。
更地が広がる被災地に、開け放った窓からレースのカーテンが風に揺れる、瀟洒な家が一軒残っていました。まるで、昨日まで普通の生活が営まれていたかのようです。
「今残っているのは、家族全員亡くなった家。解体の手続きが出来ない・・」と。。。
修復されたサン・ファン・バウティスタ号の向こうには、牡蠣の養殖風景が広がっていました。(写真左)
20メートル近い津波に襲われた、女川町まで行って下さいました。(写真中央)「石巻は貧しいけど、女川は原発あるから金持ちで・・・」
大川小学校跡には、トンボがいっぱい飛んでいました。(写真右)結局、ここまで大津波が来るなんて、誰も考えていなかった、ということでは、、、祈りの3日間でした。そして、今も祈り続けています。亡くなった方々の霊魂に、そして、生きて行かなくてはならない人々の毎日に、主が平和と喜びをお与え下さいますように。
主よ、慈しみをわたしたちに示し わたしたちをお救いください。
-詩編85編8節-
震災から2年半が過ぎた今なお、石巻市だけでも134ヵ所7,153戸の仮設住宅で、15,396名もの方々が不自由な生活を送っておられるという数字は把握していましたが、人里離れた山地や畑地に延々と続く仮設住宅を目の当たりにすると、気が遠くなりそうです。
「石巻は、これからが大変だべ」
「がんばれ、がんばれって言われたって、そうそう頑張れるもんでない・・・」被災した自宅は二束三文の買い取りが決まって、解体手続きも終わった。仮設は隙間風とかはあるけんど、、という年配の運転手さん。お体に気をつけて、お仕事を続けられますように。そして、心温まる時間にも沢山出会えますように!