愛・喜び・平和~今日、この日に感謝をこめて~

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石巻のアヴェ・マリア

ヒルズコンサート最後の曲、アヴェ・マリアもupしました。北浦和のオルガンとは随分違う音になりました060.gif 本番音源ですが、ロビーコンサートなので色んな音が入っています。
写真は、冒頭と最後の2枚だけが遊楽館。夜景は、石巻中心部。他は、全国各地で撮ったものです。中程に福島県原町教会周辺の写真を入れています。

わたしの主よ、遠く離れないでください。
-詩編35編22節-

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by hild_yam | 2013-05-31 23:33 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

石巻のオルガン

石巻の音源をupしました。撮った写真をとりあえず並べた形ですが・・・

主よ、あなたは御覧になっています。
沈黙なさらないでください。

-詩編35編22節-


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by hild_yam | 2013-05-30 12:28 | 音楽 | Trackback | Comments(4)

カリタスコンサートの御案内♪

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カリタスコンサートの御案内
をupしました060.gif 今年は、石巻と同じプログラムでお許し頂くことになっています。被災地への思いも新たに、お役に立つことが出来ればと思います。

朝にはどうか、聞かせてください あなたの慈しみについて。
あなたにわたしは依り頼みます。

-詩編143編8節-
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by hild_yam | 2013-05-28 00:11 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

とりあえず、、

a0142083_840888.jpg「沢山の思い」は後回しにして、とりあえず昨日の晩御飯。「支倉常長遣欧400年 常長おにぎりパエリア風」005.gif キリシタン禁制下で歴史から消し去られた人物が、震災復興に尽力している(?)のも不思議なこと。宮城県・石巻と福島県・原町の旅から戻りました。沢山のことを見聞きし、自分の中の何かが変わったと思います。石巻では、遊楽館オルガン担当者様に大変お世話になりました。ありがとうございます040.gif 担当者様はじめ、皆さまの一生懸命が心に沁みました。ただコンサートを弾くだけでなく、何かもっと良いことができないか、、思い巡らしております。石巻の写真と音源は、近々TouTubeにup予定060.gif

主よ、わたしの祈りをお聞きください。
-詩編143編1節-
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by hild_yam | 2013-05-27 09:11 | 旅行と巡礼 | Trackback | Comments(1)

石巻より

オルガンコンサートボランティアで、石巻に来ています。
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こちらのオルガンを弾いております060.gif

わたしはあなたの掟を楽しみとし
御言葉を決して忘れません。

-詩編119編16節-
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by hild_yam | 2013-05-23 23:03 | 旅行と巡礼 | Trackback | Comments(1)

パイプオルガン発表会♪

a0142083_1236386.jpgコンサートの御案内に、発表会プログラムをupしました060.gif
関係者の皆さま、もし間違い等発見されましたら、お早めにご連絡をお願い致します040.gif 明日には、チラシを印刷したいと思っております。すべて手作りです。。

最も小さいものも千人となり
最も弱いものも強大な国となる。

-イザヤ書60章22節-
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by hild_yam | 2013-05-21 12:46 | 音楽 | Trackback | Comments(6)

聖霊降臨祭おめでとうございます!

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我らの教会では、司教様をお迎えして、40名近い方々の堅信式が行われました。「いつもの子供ミサで・・・」って、いつもと違うでしょうが042.gif
5名の小中学生オルガニスト達が、120%の力を発揮してくれました005.gif
典礼関係者も一ヵ月以上準備を重ね、、用意された食事の量も、半端じゃない。。。皆さま、お疲れさまでした。040.gif 感謝、感謝です。
皆の働きに、豊かに答えて下さった聖霊さまに賛美!
堅信を受けた皆さま、おめでとうございます!
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特大ケーキも、可愛い063.gif

「神は言われる。
終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
若者は幻を見、老人は夢を見る。」

-使徒言行録2章17節-
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by hild_yam | 2013-05-19 18:02 | われらの北浦和教会 | Trackback | Comments(0)

神を探し求める(2)

a0142083_165127100.jpgドイツの聖オッティリエン修道院からエレミアス神父様をお招きして、オブラーテの集いがありました。個人的に録音した講和を自分自身の勉強のために、個人的に翻訳しました。公式のものではありませんが、参加出来なかった兄弟姉妹方のお役に立てれば幸いです。(5月13日の記事の続きです)

悪を避け、善を行い
平和を尋ね求め、追い求めよ。

-詩編34編15節-

《5月11日オブラーテの集いにおける、エレミアス神父様の講和~修練について~その2》

私たちは、二つの面で神を探します。確かに、神は私たちに特別な転機を与えてくださり、引き上げてくださいます。同時にまた、日常生活の中にも神はおられます。神の御言葉の中に、秘跡において、日々神の愛と慈しみを感じる多くのしるしによって。「神を探し求める」とは、いったいどのような意味でしょうか。

「神は、常により偉大な者である」と聖イグナチオが言いました。神は、いつも私たちの期待以上の者ですし、私たちの可能性以上の者です。この意味で、神を探し求めることは、常に先へと進む道を辿ることであり、常により偉大になる神にさらに近づくことです。より大きな愛、より深い理解、あるいはより深い苦しみ。それらによって、神の偉大さの中に入ります。

「探す」という言葉の中には、神が私たちを絶えず御自分の方へと引き寄せる力によって増幅する力が、すでに潜んでいます。いつも何かを見つけますけれど、すべて見つけることは決して出来ません。若い修道士は、この道を歩み始めなければなりません。この道は目的地に到着することなく、最後まで道の途中であることを知っています。

新しく修道院へ来るすべての人々に、必ずしもこのように告げる訳ではありません。しかし、その人が実際にこのような道にいることを私たちは知っています。彼は常に先へ進もうとするでしようか、あるいは、ある日誓願を立てて修道院にどっしり座り、そこから出ないことを望むでしようか。これは7節の四つの要素の最初のものであり、また最も大切なポイントでしょう。

7節の第二のポイントは、神の業(礼拝)に熱意を示しているか、という点です。この表現には、また二つの興味深い要素があります。その一つは、もちろん礼拝です。現実に、礼拝がこの生活の特徴を形作る要素であることは、聖ベネディクトの戒律によって、また既に多くの皆さんがベネディクト会修道院の生活を体験して御存知でしょう。

聖オッティリエン修道院では、一日に5回聖堂へ行きます。礼拝に喜びを感じないならば、修道生活は難しいでしょう。「礼拝に喜びを感じられない」と言った修道者を私は二人知っています。そのうちの一人は、修道院を去って教区司祭になりました。もう一人は大変聖なる人で、彼は生涯の終わりまで忠実にこの犠牲を捧げ続けました。つまり、いつも礼拝に参加しました。私に「礼拝に喜びを感じられない」言ったのですが。この理由だけでも、彼は天国へ入ったに違いありません。

聖ベネディクトは、義務を自覚するように期待しただけでなく、内的喜びも待望したと思います。もしそうでなければ、間違った道であるはずです。礼拝に喜びを感じられないことに気づいたならば、ベネディクト会の生活を勧めるべきではないと私は思います。それは、いつも大変感激するという意味ではありません。これは、人間的でないと思います。誰でも疲れたり、欲求不満を感じたり、気を散らしたりします。

そこでこの熱意とは、その時の個人的気分に関わらず礼拝に忠実であることです。礼拝は修道生活において最も頻繁な要素です。例えば、私たちの修道院では日に5回、いくつかの修道院では7~8回あります。そこで、若い人々が本当に喜んで熱心に礼拝に参加する気があるかどうか、修練期間中に良く分かります。時間通り礼拝に参加出来るよう、仕事を終える努力をする人、あるいは「残念ながら、今日は仕事で礼拝に行かれない」と良い口実が出来てちょっと嬉しい人など。

聖ベネディクトの言う「熱意」について、一般的な話をしたいと思います。聖ベネディクトの戒律には、三種類の「熱意」が出て来ます。良い熱意、悪い熱意と修練者の熱意です。(つづく)
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by hild_yam | 2013-05-18 16:48 | ベネディクト会オブラーテ | Trackback | Comments(0)

偶然と言うには、あまりにも、、

a0142083_22233440.jpg石巻のコンサートは初めてのオルガンなので、ストレスを最小限に、でも開始は華やかに・・・と、フレスコバルディの「バレットという名のアリア」で始めることに決めていた。伊達政宗の慶長遣欧使節について知ったのは、その後だった。派遣された支倉常長は、1615年11月3日、ローマ教皇パウロ五世に謁見している。そして、丁度その時の聖ペトロ大聖堂オルガニストがフレスコバルディだったのである。しかもコンサート当日は、サン・ファン祭り。使節を乗せて石巻から出航したサン・ファン・バウティスタ号の復元を記念するお祭りである。偶然と言うには、あまりにも素敵な一致005.gif やはりこれは、お導きと言うべきであろう。

天において、地において、海とすべての深淵において
主は何事をも御旨のままに行われる。

-詩編135編6節-
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by hild_yam | 2013-05-15 22:36 | 神さま、大好き! | Trackback | Comments(4)

神を探し求める(1)

a0142083_14171877.jpgドイツの聖オッティリエン修道院からエレミアス神父様をお招きして、オブラーテの集いがありました。奉献準備のために、神父様は修練についてお話し下さいました。個人的に録音した講和を自分自身の勉強のために、個人的に翻訳しました。公式のものではありませんが、参加出来なかった兄弟姉妹方のお役に立てれば幸いです。

子らよ、わたしに聞き従え。
主を畏れることを教えよう。

-詩編34編12節-

《5月11日オブラーテの集いにおける、エレミアス神父様の講和~修練について~その1》

聖ベネディクトの時代、修練期は目新しいものでした。もっと古い修道院の伝統では、修練期について定められていなかったり、あったとしても数日、数週間程度でした。聖ベネディクトは、修練期の構成をしっかり定めようとしました。1年間という時を定め、他の修道者と別の部屋を定め、特別の長上、つまり修練長の下で修練期を過ごします。聖ベネディクトは、「戒律」にこれらの基本について詳しく書いています。最も重要な部分は、58章に書かれています。
(ここで、聖ベネディクトの戒律58章1~16節が読まれる)

今聞いた部分だけでも、これについて一週間話が出来るくらい多くのことが含まれています。まず、この章の中心と思われる、7節を取り上げましょう。7節には修練者が特に求めるべき四つの事が書かれており、これはその人がこの道に相応しいかどうかの判断基準でもあります。「そして、修練者が神を本心から求めているか、また神の業、服従、修練に対して熱意を示しているかを良く見守らなければなりません(戒律58章7節)」

ここで第一の点は、「神を本心から求めているか」ということです。まず、「求める」という動詞から始めましょう。戒律に従って生きようとする修道者は、探し求める者である、という考えです。既にすべて見出した人ではなく、道の途上にいる者です。この考えは修道者だけに特有ではなく、またキリスト者に特有のものでもなく、様々な宗教に見られると思います。探し求める者とは、既にすべて知っている、何でも出来る、万事OKと、どっしり腰をおろしている状態ではありません。むしろ、その反対です。

実際、これは度々確認の基準になります。私自身が長年、若い人々の養成に携わった経験では、修道院にやって来て、「私は、もう既にすべて知っています」「私は、既に見つけました」と言う人々がいます。探し求めるとは、心の中に空の場所を持っていること、何かを必要としていることです。しかし、修練者は「何かあるもの」、例えば幸せや安心立命、新しい故郷などを求めるべきではありません。

聖ベネディクトは、「心から神を求めよ」と書いています。つまり、神が中心です。聖ベネディクトは、「誠に神を探し求める」と特に強調しています。まずこれは、きわめてはっきりとした意味を持っています。実際に、神を求めるのではなく、何か別のものを求めて修道院に来る若者たちがいます。このような二次的目的は、修道院ばかりでなくオブラーテにもあり得るでしょう。孤独から逃れるために共同体を求める、確かな生活秩序を求める、また大きな修道院では影響力や偉大な任務を求めることもあり得ます。物質的な安心を求めることもあり得ます。

「なぜここに来たのか」「本当の目的は何か」をはっきりさせるために、修練期は役立ちます。探し求める方向が、本当に神に向かっていることを修練期に感じられなければなりません。これはつまり、他の要素が優先されないことを意味します。他の要素も、すべて悪い訳ではありません。その人の決断を助ける動機であるかも知れません。私自信も修道院に入った時、やはり規律や共同体を求めていたと思います。しかし、それは最も大切なことではあり得ません。そうでなければ、正しく機能しません。共同体を求めるならば、ボーリングクラブの方が良いでしょう。「誠に神を探し求める」という言葉には、明らかな意味があります。それは、深い意味です。「神を探し求める」とは、どういう意味でしようか。(つづく)
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by hild_yam | 2013-05-13 14:07 | ベネディクト会オブラーテ | Trackback | Comments(0)
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オルガニスト 山田早苗 Official Blog☆聖書の御言葉と写真で綴る日記


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