愛・喜び・平和~今日、この日に感謝をこめて~

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第4留 イエスは母に会う

a0142083_9394821.jpg喧騒と怒号の渦巻く中で、変わらぬ信頼をもってイエスを見つめる、母マリアのまなざし。慈しみに満ちたイエスの視線が、母に会う。時が止まる。限りない愛と悲しみをもって、イエスとともに歩み続けた母マリア、あなたは今も同じ心で、私たちとともに歩み続けておられます。喘ぎつつ、この世の旅路を歩む私たちとともに。「神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、今も、死を迎える時も祈ってください。」

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。

-イザヤ書49章15節-
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by hild_yam | 2011-03-31 10:17 | 十字架の道行 | Trackback | Comments(0)

第3留 イエス、初めて倒れる

a0142083_9391767.jpg激しく鞭打たれ、唾され、十字架の重みに倒れるイエス。再び立ち上がり、罵声の中を歩み続けるイエス。私たちも歩み続けることが出来ますように、痛み、苦しみ、誤解、あらゆる困難の中で、あなたと共に歩み続けることが出来ますように、主よ、助けと力をお与え下さい。

かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように
彼の姿は損なわれ、人とは見えず
もはや人の子の面影はない。

-イザヤ書52章14節-
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by hild_yam | 2011-03-30 09:52 | 十字架の道行 | Trackback | Comments(0)

第2留 イエスは十字架を担う

a0142083_9163314.jpgイエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
-ヨハネによる福音書19章17節-

罪のない方が、偽りの判決を受けて、死刑の道具を自ら担われる。なぜ?弟子は戦うと言ったのに、逃げる道もあったのに、なぜ?主よ、なぜそれほどまでして、私たちの重荷を担って下さるのですか。なぜ、こんなに無条件で私達を愛してくださるのですか。
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by hild_yam | 2011-03-29 09:32 | 十字架の道行 | Trackback | Comments(0)

第1留 イエスは死刑の宣告を受ける

a0142083_8262043.jpg「十字架につけろ!」と叫ぶ人々の中に、「わたしには責任がない」と手を洗うピラトの姿に、そして、ただ黙して侮辱を受けるイエスの姿にも、私自身の姿を重ねる。「人間、誰しも自分を守る、相手を憎む、それが当然なのに、中には、それを越えて、与える人、赦す人がいる。」と、あるブログに。自分を守り、相手を憎む心ではなく、赦し、与える心を、主よ、どうぞお与え下さい。

ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
-マタイによる福音書27節17・18節-
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by hild_yam | 2011-03-28 08:41 | 十字架の道行 | Trackback | Comments(0)

恒例の、、

a0142083_2049191.jpg四旬節に入ってすぐに地震、、で、恒例「十字架の道行」を忘れていました。今年は、こちらの教会の道行像を明日からダッシュで?!巡ります。四旬節中に、歩み終えますように。。
発声講習会無事終了060.gif感謝。オーガナイズは好きな仕事じゃないが、教会音楽には大切なこと。

刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
-ヨハネによる福音書4章36節-
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by hild_yam | 2011-03-27 21:09 | 十字架の道行 | Trackback | Comments(0)

そしてまた、祈り

a0142083_1546542.jpg夜の停電で、出来ることは限られている。寝るには早い時間なので、ロザリオを祈り続けた。こんな時に大きな余震があったら怖いと思いつつ、でも、お祈りが増えれば、きっと良いことも増える。。。

シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。
-ルカによる福音書13章4・5節-

先日のチェンメの続編を転載します。

神のお告げの祭日
+アヴェ・マリア
ノベナの祈りに参加された方々へ

 今回は緊急の祈りの呼びかけに応えてくださり、ありがとうございます。皆で心を合わせて祈ることができたのは、大きななぐさめでした。よい意味で、チェーン・メールになったようで、思いがけなく祈りの輪が大きく広がりました。日本人だけでなく、知り合いの外国人にも呼びかけました。フィリピン人の神父はすぐにFacebookに載せ、誰かがフランス語・ドイツ語・韓国語にも翻訳して世界中に呼びかけてくださったようです。私が分かっている範囲では、フィリピン・シンガポール・香港・インド・パキスタンなどの国から参加の表明をもらいました。国内外あわせて、数百人から数千人が参加したのではないかと推測されます。祈りの連帯が地球を包んで、震災の悲劇のために祈りがささげられました。皆さんの協力に心から感謝します。
 9日間のノベナの祈りはこれでいちおう終わりますが、まだ悲劇が終わったわけではないので、引き続きできる範囲で祈りを続けてください。また、具体的な支援活動もしていきましょう。

 この震災後の苦難はまだ続くでしょう。長い十字架の道のりが予想されます。差し出がましいですが、いちおう私が思いつく限りのアドバイスをしておきます。

これから心がけること

1.できる限り、日常の生活に戻るように努めましょう。直接に被害を受けた人びとはもちろんのことですが、間接的に被害を受けたり、被害に心を痛めておられる方々にもかなり疲労が蓄積していると思います。まだこれから長い道のりがあるので、無理をしすぎないように、心配しすぎないようにして、なるべく日常の生活を淡々と過ごしていく工夫が必要だと思います。まだどのような事態が起こるか分からないので、適切な情報収集は必要です。しかしながら、あまり悲劇を見つめすぎないように。否定的なことばかりを考えるのを差し控えましょう。むしろ、日頃の趣味や楽しみも大事にしましょう。休養もしっかりとりましょう。これから長いマラソンを走っていくつもりで、ゆっくりいきましょう。

2.思いがけない不便や困難がまた襲ってくるかもしれません。その際、キリスト者の心がけとして、イエスの十字架の道を思い起こしましょう。自分だけが苦しんでいるのではなく、いつも主がともにいてくださり、ともに苦しみを担ってくださっていることを祈りの中で確認しましょう。そして、十字架は必ず復活につながっていることを信じて、未来に希望をもっていきましょう。

3.この出来事がなぜ起こったのかという疑問を抱いている方は多いと思います。心が冷静になってきたら、少しずつこの災害の意味を信仰の観点からふりかえってみましょう。神はこの出来事を通して自分に何を語りかけているのか。どのようなことに気づくだろうか。これから何を変えていくように呼ばれているのか。一人ひとりが祈りの中で静かにふりかえりましょう。また自分の気持ちや気づき、疑いや希望をまわりの家族や友人とわかち合うようにしましょう。ふりかえりとわかち合いを通して、信仰の観点から少しずつ出来事を心から受けとめ、前に向かっていく力と未来を変えていく真の回心と新たな生き方が生まれてくることでしょう。

 心に緊張や不安をかかえている人は、以下のようなイメージ黙想をすることを勧めておきます。

A.悲しみや不安を心にいだいている自分(直接、間接の被害を受けて)のために
 自分の疲れた心に、神の愛がシャワーのように降り注ぐのをイメージしましょう。ちょうど冷たい体がお湯のシャワーで温まっていくように。神の愛が自分の心に注がれて、だんだんと不安や緊張、悲しみや怒りが洗い流されていくように。そのようなイメージで神の愛の注ぎを味わいます。神さまはどんな状況でも、あなたのことを大切に見守ってくださいますから。
 最後に(例えば)、「主の祈り」や「聖母マリアの祈り」を唱えましょう。


B.被災者の方々、亡くなった方々、被災者を助けている人たち(原発の事故処理に取り組んでいる人たちも合わせて)のために
 彼らにもイメージ黙想で助けてみましょう。被災して苦しんでいる人びとや支援している人びとの姿を思い浮かべましょう。彼らの苦しみや痛みを味わうだけでなく、さらに、彼らの上に神の愛が注がれていき、彼らの姿に笑顔や希望、平安や勇気が戻ってくるのをイメージしましょう。被災者が今の困難を受けとめ、元気を取り戻していく姿や、復旧作業に必死に従事している人びとが守られ、任務を無事遂行している姿を思い描くのです。神の愛が注がれることによって、絶望が希望に変えていく姿を祈っていきます。
 最後に(例えば)、「平和を求める祈り」(アシジのフランシスコ)を唱えましょう。

C.放射能汚染で怯えている人のために
 冷静に考えると、30キロ圏外に住んでいる人に大きな健康被害があるとは思えません。それでも不安感が拭えず、心配でたまらない人もおられるでしょう。そういう人は以下のイメージ黙想をどうぞ。
 死の灰が自分に降り注ぐ(あるいは体内に蓄積する)恐怖のイメージを手放します。その代わりに、神の愛(あるいは聖霊)が天から降り注いでくるのをイメージします。春の温かい雨が大地を潤すように、神の愛がすべての不浄なものを洗い流していく様子を思い浮かべます。神の愛のシャワーがあらゆる放射性物質を洗い流し、吹き飛ばしていきます。体内に蓄積されるごく微量の物質さえもすべて洗い流してくれます。ついでに、心の中にある不安やおそれもすべて洗い流してもらいましょう。
 最後に(例えば)、「聖霊の続唱」(典礼聖歌351番)を唱えましょう。今のところ、放射能汚染に効く聖人は知らないですが、そういう聖人がいたら、取りなしを祈っておきたいですね。


D.エコロジーに関心のある方のために
 私たちは人間への悪影響ばかりを心配していますが、放射性物質は山も海も、動物も植物もすべてを傷つけ、痛めています。傷ついたすべての自然に対して、ごめんなさいと謝る祈りもささげましょう。人間の方が謝り、自然との和解を願うのです。私たちが謙遜にゆるしを願うならば、神も自然もゆるしてくださるでしょう。そして、人間と大自然が調和して、共存している姿をイメージしていましょう。どのようなイメージが浮かんでくるでしょうか。私は黒澤明監督の『夢』という映画の最後の夢のシーンが思い出されます。
 最後に(例えば)、「太陽の賛歌」(アシジのフランシスコ)を唱えてみましょう。

E.それでも苦しい人のために
 十字架上のイエスをイメージで思い浮かべましょう。そのイエスに向かって、自分の今の苦しみ、悲しみ、怒りを率直に話します。自ら苦しむイエスがそれをすべて受けとってくださるようなイメージで。彼はすべての痛みや不幸を身に帯びておられます。そのイエスにすべてを打ち明け、彼から力となぐさめをもらってみましょう。
 最後に(例えば)、「キリストに向かう祈り」(イグナチオ・ロヨラ)を唱えましょう。

 この十字架の苦しみが最後には復活の喜びに変わっていきます。それを信じて、これからの長い道のりをともに歩んでいきましょう。

英  一朗(イエズス会司祭)
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by hild_yam | 2011-03-26 16:04 | 日々の出来事 | Trackback | Comments(0)

発声講習会は、予定通り行われます♪

a0142083_10305999.jpg明後日の発声講習会は、予定通りに行います。

茨城県在住の鈴木先生、地震後4日間避難所で過ごされたそうですが、お元気で北浦和にいらして下さいます。申し込まれた方のメールに「ご連絡 ありがとうございます。あの日から十余日 また歌える機会が巡ってきたことが ただただ嬉しいです。」と。
どうぞ皆様ご一緒に、神様へ祈りの声を響かせましょう。

わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え わたしの目に光を与えてください
-詩編13編4節-
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by hild_yam | 2011-03-25 10:52 | 音楽 | Trackback | Comments(3)

それぞれ

a0142083_1253594.jpg近くの避難所に出向いたり、被災された方を家庭に受け入れる人を見ると、「偉いなぁ、私にはできない・・・」と悲しい気持ちに。それぞれが出来ることをするしかないから、せめて街や職場で、思いやりの心とやさしい言葉を忘れないようにしよう。。。

自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。
-ルカによる福音書17章10節-
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by hild_yam | 2011-03-24 12:56 | 思ったことなど | Trackback | Comments(0)

本当に大切なもの

a0142083_1042102.jpg久しぶりに、棚に食品が並ぶ店に入った。思わず心和んで、しばし店内を徘徊。。平日休みの今日は、近所のガソリンスタンドに並んでみた。意外にあっさりと満タンに。これでお年寄りの送迎も、仕事も、しばらく大丈夫そうです。地震から12日目、良い方へ向かっていることに感謝。停電、放射能、余震等、不安を数えればきりがないけれど、この機会に「本当に大切なもの」を選び取る、取捨選択のセンスを身につけたいと思う。

そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。
-マラキ書3章16節-
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by hild_yam | 2011-03-23 11:10 | 日々の出来事 | Trackback | Comments(0)

ラシャペル神父様に捧ぐ

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この土手の向こうから、ニコニコ歩いて来る神父様、ご自分の教会で主日のミサを終えて。
仙台で、今秋大会の打ち合わせ中に地震。幼稚園と連絡が取れないと心配し、ご自分の教会がある塩釜へ向かわれた・・・・御遺体とお会いすることは叶わなかった、火葬場へ運ばれる遺体の数が膨大で、焼くためのガスも十分になく、そこではお祈りすることも出来ない、、と聞き、神父様の死がイエス様の死と重なった。あの日は、四旬節最初の金曜日。
「聖霊による刷新は、第二バチカン公会議の実りです」と語る神父様の声に、あの笑顔に、差し出された手に、もう触れることが出来ないのは悲しくて、涙がたくさん流れます。でも、今はイエス様のもとで、この世の時より、いろんな事が良く分かって、たくさんのことが出来ますね。諸聖人方と共に、残された私たちのために執り成して下さいますね。
神父様と出会えて、嬉しかった。長い間ありがとうございました。そして、、これからもどうぞよろしく。

この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」

-ヨハネの黙示録7章9・10節-
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by hild_yam | 2011-03-22 09:10 | 思ったことなど | Trackback | Comments(0)
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オルガニスト 山田早苗 Official Blog☆聖書の御言葉と写真で綴る日記


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