穏やかな日差しに誘われて、久しぶりにベランダへ。姉妹が入手した古書。20年以上前に、U神父さんのお勧め文庫から借り出した時には、何も分かっていなかったように思う。それが今、何もかも自分たちと重なる。
漠然とした期待と目の前に山積する困難、にも関わらずイエス様が共にいる、主に導かれているという確信。
様々な背景の人々を集め、ひとつにされる神。超教派のプロジェクトと主の臨在。
祈りと学びと働きのバランスが大切な事、彼らの必要に答えようという思い、すなわち愛が中心で回心は結果に過ぎない事、宗教用語の用い方に注意すべき事など、常に立ち戻るべき教えやフォローアップの問題。
まだ届かない小切手に、皆が力一杯感謝の祈りを捧げるクライマックスに、何度も聞いたU神父さんと旭川の賛美が重なって涙が・・・
「大勢の日本人の祈りによって救われた、何と驚くべき感謝な事」と熱く語るドイツの人々の証しが、力を持って甦る。
今、私たちは何処へ導かれているのだろう。偶然とは思えない励ましを頂いた気がする。
力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。
-ゼカリヤ書4章6節-
「主が責任をとってくださるかぎり、計画は栄える。しかし、私たちが、自分自身の力にたよって事を成そうと試みる時には、たちどころに失敗するのである。」(D.ウィルカーソン著「十字架ととびだしナイフ」結びより)