主が共に歩いておられると知っているので、行き先の分からない道を共に歩き続けます。でも、時々尋ねます。「ねぇ、イエス様、どこへ向かっていの?この坂、ちょっとキツイんだけど、まだ遠いのかな?どんなところに着くのかな?」時々答えらしきものが聞こえても、識別は難しい
単なる妄想かも知れないし、悪しきものの欺きかも、、ねぇ、イエスさまぁ・・・
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
-ヘブライ人への手紙11章8節-