心の貧しい人って・・・?
心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
-マタイによる福音書5章3節―
「心の貧しい人が幸いって、分かりにくいよねぇ」「もっと分かり易く訳してもらえないものか」・・・アルファ仲間達の会話に触発されて、ちょっと調べてみた。
最初に挙げた新共同訳の前身である共同訳、日本語の品位が乏しいとの批判もあったが、入門したての私は分かり易さに感動した記憶がある。
「ただ神により頼む人々は、幸いだ。天の国はその人たちのものだから。」
「この翻訳に助けられた」と東北の知人から贈られた山浦玄嗣氏の気仙語訳は、
「頼りなく、望みなく、心細い人は幸せだ。神さまの懐にシッカリと抱かれるのはその人たちだ。」
手元にあるフランシスコ会訳(旧品)では、「自分の貧しさを知る人は幸いである、」
注に「直訳では『霊において貧しい人』。」とある。
バルバロ訳は「心の貧しい人」だが、注に「物質的にも貧しく、精神的にも金銭の富を求めない人」と。
言いたい事は分かる気もするが、この人たちはみんな同じ種類の人々なのでしょうか 翻訳は解釈でもあります。。小鳥たちが賑やかにさえずる夕刻です。