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典礼と音楽など

a0142083_10142038.jpg典礼と音楽について、示唆に富む一文に出会った。長めだが、自分のためのメモとして引用しておく。

「牧師をしていると、次のような感想を聞くことがあります。『今日の礼拝はとても良かったです。得るものがたくさんありました』。しかし、このような発言も礼拝に対する誤解から来ています。礼拝は、自分ではなく神のためにささげるものです。自分の満足ではなく、神に喜んでいただくことが目的なのです。・・・もちろん、毎週の『主日礼拝』にも、交わり、教育、伝道などの要素が含まれていますし、礼拝を通して受ける恵みというのも確かにあるでしょう。しかし、私たちが礼拝をするのは、自分を喜ばせるためではありません。私たちの動機は、創造主に栄光と喜びをもたらすことなのです。」

「クリスチャンの間では、礼拝音楽をめぐって意見が分かれることがあり、自分の好きな音楽こそ最も聖書的で神の栄光にふさわしいと言ってゆずらない人もいますが、聖書的でない音楽というのはありません。聖書に楽譜は載っていませんし、今の私たちは聖書時代の楽器さえ持っていないのです。

率直に言えば、あなたの好きな音楽というのは、神よりもあなた自身について、つまり、あなたの音楽的背景や性格を物語っているのです。ある民族の音楽は、他の人々にとっては単なる騒音にすぎないかもしれません。しかし、神は多様性を好み、すべての音楽を愛されるのです。

『クリスチャン音楽』のようなものは存在しません。ただ、クリスチャンの歌詞があるだけです。歌を神聖にするのは歌詞であってメロディではありません。『霊的な旋律』というのも存在しません。ある曲を聞いても、歌詞がなければそれが『クリスチャンの歌』かどうかは分からないのです。」

「霊とまことによってささげられているなら、それは礼拝なのです。」
(以上、リック・ウォレン著「人生を導く5つの目的」より)

カトリック教会では、聖体祭儀を「人間にあがないをもたらし、神に完全な栄光を帰するこのみわざ」(典礼憲章5)と呼んでいる。いずれにしても、音楽の好みをゴチャゴチャ言うなど、神は喜んでおられないのではないか。。。

主は言われた。
「この民は、口でわたしに近づき 唇でわたしを敬うが 心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを畏れ敬うとしても それは人間の戒めを覚え込んだからだ。
それゆえ、見よ、わたしは再び 驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。
賢者の知恵は滅び 聡明な者の分別は隠される。」

-イザヤ書29章13・14節-

明日は、今年最初の発声講習会です060.gif 初めての方にも、参加し易い会になると思います。
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by hild_yam | 2017-02-04 11:13 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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