思ったことなど
前段の「成り下がってしまった」キリスト教に日々直面しつつ、私なりに思う。イエスの弟子の特徴とは、何だろう。自分が取るに足りない小さな者であること、罪人でさえあることを知り、それにも関わらず愛されている、このような私のために命まで差し出して下さるほど、全能の神が私を愛しおられる、という事実を胸が痛くなるほど体験する時に、この方に従いたい、全生涯を掛けて、命さえも惜しまずに、イエスに従いたい、と思わずにいられないのである。
弟子にも様々な段階があろう。聖ペトロは船も網も捨ててイエスに従った時、すでにイエスの弟子になったと思っていた。でも、イエスが捕えられた後「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と問われ、「違う」と答える。そんな自分の姿に泣き、それでも愛すること、慈しむことをやめない主イエスの眼差しの中で、力強く働くことができる本物の弟子になったように思う。
無条件で愛されていると知る時、人は強く、やさしくなれる。しかも全知全能の神が、死者の中から復活して、今、真に生きておられる神が、このように愛して下さるならば、どれほど心強いことであろう。これこそ喜びの知らせ、福音ではなかろうか。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を贖ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
-ヨハネの手紙Ⅰ4章10節-