神のいつくしみの主日
この祭日は定められてから日も浅く、あまり良く知らない人も多いようなので、簡単なパンフを作ってみました。小教区向け説明文をちゃんと作ろうとしたら、意外と苦労しました 不完全ではありますが、A4一枚にまとめてみました。「霊魂が信頼してわたしに近づくとき、溢れるほどの恵みで満たされるので、その霊魂は恵みを自らの内にしまっておけず、他の霊魂たちにそれをまき散らすほどになる。」(聖ファウスティナの日記「わたしの霊魂における神のいつくしみ」1075より)
そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
-ヨハネによる福音書20章25節-
神のいつくしみの主日とは、
教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年から、ご復活の主日の次の日曜日(復活節第二主日)を「神のいつくしみの主日」と定め、この主日に神のいつくしみに対する特別の信心を行うよう望まれました。それは信者たちが聖霊の慰めの賜物を豊かに受け、神への愛と隣人への愛を強め、成長させることが出来るためです。
教皇ヨハネ・パウロ2世は、2002年6月13日の教皇庁内赦院謁見の際に、神のいつくしみの主日に免償を付与するための文書を認可されました。教皇庁内赦院は、教皇の意向を受けて、2002年8月3日に、その文書を発行し、この主日に全免償を受けることができる旨を発表しました。(ここまでは、カトリック中央協議会のHPから引用)
「神のいつくしみの主日」は、聖ファウスティナ・コヴァルスカ修道女(1905-1938)と強く結びついています。聖ファウスティナは、貧しい農家に生まれ、幼少の頃から農作業の手伝いをして育ちました。1925年にいつくしみの聖マリア修道会に入会し、修道女として台所、庭の手入れなどの役割を果たしました。外面的には特別なことをしたわけではありませんが、内面的にイエスとの深い神秘的交わりへと分け入る恵みを受けました。聖ファウスティナは、指導者の勧めに従い、こうした体験を「日記」に書き記しました。さらに、彼女はイエスから、「神のいつくしみ」の信心を広め、人々が神のいつくしみに信頼するよう導くという使命を与えられました。(サンパウロのHPから、澤田神父様の文章を一部引用しております)
神のいつくしみへの信心とは、
いつくしみ深いイエスの御絵
聖ファウスティナは、1931年2月22日の出現を次のように描いています。「夕方、修室にいた時、白い衣服を着ていらっしゃる主イエスを見ました。片方の手は胸のあたりの衣に触れていました。胸のあたりでわずかに開いている衣服の下から、二つの大きな光が出ていましたが、一つは赤く、もう一つは青白い光でした。・・・しばらくして、イエスはわたしに言われました。「あなたが今見ている通りに絵を描きなさい。その下に『イエス、わたしはあなたに信頼します』という言葉を書き入れなさい。わたしはこの絵が、まずあなたたちの聖堂で、そして、世界の至る所で崇められることを望む。この絵を崇める霊魂は決して滅びないと約束する。・・・わたしが自らその霊魂をわたし自身の栄光として守る。」」(日記47-48)
神のいつくしみへの祈りの花束(チャプレット)
イエスは聖ファウスティナにロザリオの珠を使った祈りを教えました。「最初に、主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、使徒信条を唱えなさい。次に、主の祈りの珠で、次の言葉を唱えなさい。『永遠の父よ、わたしたちと全世界のすべての罪の贖いのために、あなたの最愛の子、わたしたちの主イエス・キリストの御体と御血、御霊魂と神性を御前に献げます』アヴェ・マリアの祈りの珠を使って、次の言葉を唱えなさい。『イエスの痛ましい御受難によって、わたしたちと全世界に慈しみを注いでください。』結びとして、この言葉を三回唱えなさい。『聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、わたしたちと全世界を憐れんでください。』」(日記476)
「わたしがあなたに教えたチャプレットを絶え間なく唱えなさい。それを唱える人はだれでも、臨終の時に大きな慈しみを受ける。・・・全世界がわたしの無限の慈しみを知ることを望む。わたしの慈しみに信頼するこれらの霊魂に、想像を絶する恵みを与えたいと望んでいる。」(日記687)
イエスは聖ファウスティナに言いました。「わたしは、慈しみの祭日が、すべての霊魂、特に哀れな罪人のための避難所、隠れ家となることを望む。その日、わたしの慈しみの内臓(はらわた)が開かれる。わたしの慈しみの泉に近づく霊魂に、恵みの大海を注ぐ。告解に行き、聖体を拝領する霊魂は、罪と罰の完全な赦しを得る。その日、恵みが流れ出る神の水門は、すべて開かれる。・・・慈しみの祭日は、わたしの優しさの内臓(はらわた)から生まれた。それが復活祭後の最初の主日に荘厳に祝われることを、わたしは望む。」(日記699)
「わたしの慈しみ深い心にぴったりと寄り添うようにと、苦しんでいる人類に語りなさい。そうすれば、わたしが人類を平和で満たす。」(日記1074)