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エリック神父の講和・後編

a0142083_16343663.jpg以下は、3月30日の記事の続きですので、30日の記事からお読み下さるよう、お願い致します。

(つづき)
それでも、私は神学校で勉強しました。しかし、これらの病気は本当に大きな重荷、大きな十字架でした。神学校の先生も、私を去らせようとしました。彼は、私が神学校を去って療養のために何かした方が良いのではないか、と考えました。ある日、盲腸炎にまでなって、盲腸の手術もしなければなりませんでした。この時、私は本当に打ちのめされました。修道会の兄弟の一人が私のところに来たので、私は単純に胸の内をぶちまけました。

彼は、私にシスター・ファウスィナについて語りました。この日、彼はシスター・ファウスティナの日記を読んだところでした。シスター・ファウスティナは病気でした。彼女は、結核を患っていました。彼女はいつも疲れやすく、しっかり働くことが出来ませんでした。彼女は、それについてイエスに話しました。彼女は、単純に言いました。「イエス様、なぜ私は病気でしょうか。イエス様、他のシスターたちを見て下さい。彼女達は、あんなに沢山のことが出来ます。仕事も、祈りも良く出来て、何の問題もありません。私は、いつも病気です。私は、いつも苦しんでいます。」

イエスは、彼女に答えました。「私の娘よ、自分の苦しみを受け入れるシスターは、すべての健康なシスターが日夜働くよりも、多くのものを神からいただくことが出来ます。」イエスはまた、彼女に言いました。「誰かが、自分の悲しみ、苦しみ、痛み、病気を受け入れるならば、それは神への近道のようなものです。」
そして、これこそ真理です。私が病院で気づくのは、自分の苦しみを受け入れる人は、癒しの経過が早いということです。

私は癒されました。私は、本当にあの苦痛から解放されました。私が司祭になった時、すっかり癒されて、また食べたり飲んだり出来るようになりました。それは、私にとって大きな喜びでした。残念ながら私はとても沢山食べたので、少し太りました。(笑) 主に賛美!私は毎日いつくしみのロザリオも祈っていたので、イエスが私を癒して下さったと確信しています。
そして私は、いつも午後3時に、いつくしみのロザリオをするようにしています。これは、神の恵みでした。私は、いつも簡単に兄弟たちや他の人々に言えますから。「さあ、3時です。ちょっと休憩して、神のいつくしみのロザリオを祈りましょう」と。

私たちが神に信頼出来るようになるのは、とても単純なことです。偉大な神学は、要りません。ただ、信頼だけが必要です。私は、度々イエスに言いました。「イエス様、私はあなたに信頼するよう努力します。」私はまた、彼に言いました。「私は、あなたが理解できません。どうしてこれやあれが、私の人生で上手く行かなかったのか、分かりません。でも、私は知っています。あなたは、神です。(あなたは、どのような所にも来ることが出来ると信じています。)」
確かに、人間的にはいろいろなことが把握出来ないし、理解できません。でもイエスは、私たちの生活の中で、何でも出来ます。シスター・ファウスティナが死んだ時、みんな思いました。ファウスティナの知らせは、今はもう終わりだ、と。しかし彼女は預言の賜物によって言いました。「私の使命は、死後に始まります。その時、私は沢山の人々を助けることができます。」

そして、私たちがこの地上に生きているのは、神がそのように望んでおられるからだ、ということを忘れてはならないと思います。誰も私たちに尋ねませんでした。「あなはたは、今日生まれたいですか。それとも、100年後、あるいは100年前に生まれたいですか」と。私たちは、ここにいます。そしてこの地上で、ある期間、生きています。そして生まれてから死ぬまで、様々な病に苦しみます。私は、度々考えました。なぜ、女性は子供を産む時に、苦しまなければならないのでしょうか。私には、5人の姉妹と3人の兄弟がいます。ありがたいことに大きな家族なので、私はまた、家庭の中で苦しみを負うとはどういうことか、という経験もしました。しかしまた、私たちがいつも神に立ち帰るなら、私たちがイエスと共に生きるならば、私たちは確かに人生の重荷を担うことができる、ということも私は経験しました。

私たちは、この地上に生きています。これは、偶然ではありません。私たちが生きるように、と神が望んだのです。神が、私たちに命をプレゼントして下さったのです。私たちが望もうと、望むまいと、ある日、私たちは死ななければなりません。私が思うに、これはこの地上で唯一、公平なことです。誰でも死ななければなりません。貧しい人も、金持ちも。私はまた、働いている病院で、本当に生きたかった多くの人々に出会いました。その人々は、全力を尽くして生き続けようと戦いました。それでも、時が来たら、その人々は死ななければなりませんでした。

もちろん、私たちが神に信頼するのは簡単ではありません。でも、それは可能です。そして、わたしにとって最高のプレゼントは、死の時にイエスが来て下さることです。しかし、最もひどい苦悩は孤独です。私たちは全く一人ぼっちです、と言うことです。私たちの苦悩の中でも、孤独になることは最悪の苦悩です。イエスもまた、シスター・ファウスティナにこの言葉を語りました。「私にとって最も辛かったのは、十字架に付けられて死んだ時の孤独でした。」イエスは言いました。「みんな逃げてしまった。私は、十字架の上で一人ぼっちでした。」ただ、彼の母と彼の愛した弟子だけが十字架の下にいましたが、他の弟子たちは逃げてしまって、そこにいませんでした。だから、彼はシスター・ファウスティナに頼みました。特に午後3時に、イエスが死んだ時間である3時に、イエスのことを思い出して下さい、と。もし時間がなければ、一瞬でも、数分、数秒でも手を止めて、黙想して下さい。そして今、ここ日本では、ほぼ3時ですから、一緒に神のいつくしみのロザリオを祈りましょう。

以上が、3月28日瀬田教会での講和です。
()内は、よく聞き取れなかったので、違っているかもしれません。ごめんなさい040.gif
休憩後の質問タイムの要約と写真、動画などをいつくしみセンターさんのブログで見ることが出来ます001.gif

わたしたちの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。
-詩編22編5節-
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by hild_yam | 2012-04-01 00:05 | 神の慈しみと聖ファウスティナ | Trackback | Comments(0)
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